頭の中の引き出し

ある時代をいきたひとりのりんごの話。

今の人達は

ここ数日、何かのツイートをいいねしたことでおすすめにこういうツイートが増えた。

「今の子は外向きの好きなものがあり、本当に好きなものは人に話さない」

これって昔からそうだと思う。 好きなものの話をすると、それを知らなかったりその価値を先に判断してる人が冷笑するから、人に言わなくなって、だからネットとかで話し合える人同士で繋がるようになった。そういう経緯があったと思う。

数日前の自分の感情の整理をしていて、ああこれなのかも?と気づいた。

別に、仲良しな人でも無理に好きなものを好きだと伝えなくていいんだなって。相手が苦手かもしれない話題はそりゃ避けるけど、そうじゃないにしても「話さなくてもいい」を選択肢に用意することって、今の自分には必要かも?と思った。

というのも、なんだろう、相手に対して無害ですよと伝えたくて、そういう……大したことではないがAである/ないがわかる話を割と……オープンにしてきた。

だからオープンにされない、あるいはあることがわかってるのにそれを遠回しに避けられたときに、モヤとしてた。言わないならその存在も隠してくれよ、と思ってたので。 隠せないならもう出してくれよ、という発想だった。 

でも、 話さなくてもいいこと、がその存在も気付かれないくらいにしておける、そういう類の本当に好きなものがある場合、相手に不快感を与えないように注意を払ったうえで話さないことはしてもいいんだと今は思う。

好きなものって騒ぐほど集まるけど、その集まってくるものがナンカチガウだけになることもあるだろうし、集まってほしいわけじゃないとかもあるだろうし、人間だからその時の機嫌とか気分でコロコロ判断も変わるだろうし、

そういう幅を持たせて関わるのがいいのかなと。

幅を作るために、自分が誰かと良好な関係を築き続けるために、話さない。これは別に今までもしてることではあるのだが、改めて、無理に好きだって騒がなくていいんだよ、と自分に言いたくなったので記録することにした。

みんなが好きなものだからって触れなくてもいいし、自分が好きなものだからってみんなに見せる必要もない。

好きなこと、好きなもの、大事にしたいもの。そういうものを自分がちゃんと大切にしていくこと。目先の嬉しさも大事だけどそういうところも忘れないでおきたいね、と思ったのでした。